1998年9月1日火曜日

「第二の敗戦」で再び注目される坂口安吾

不況に加えて、企業、官庁のスキャンダル、さらには相次ぐ毒物事件と、日本列島にはいま、あたかも「第二の敗戦」といえるような無力感が漂っている。そのためか、戦後の灰燼のなかで当時の青年達に熱狂的に読まれた作家、坂口安吾に再び関心が集まっている。安吾の文章の幾つかを紹介させて欲しい。

「日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ墜ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救いうる便利な近道が有りうるだろうか」

『堕落論』の有名な一節である。でも単なる開き直りではない。安吾はいう。「(善人は気楽なものだが)堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いていくのである・・・孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ」(『続堕落論』)

この安吾の『歎異抄』の読み方はやや独特だが、彼がいわんとしたことは堕落による新しい規範の創出に他ならない。すなわち「人は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられない・・・堕落は制度の母体である」(前掲書)

安吾は日本人はもともと復讐心が少ない人間であるからこそ仇討ちが制度化されたこと、権謀術数が伝統であればこそ武士道が工夫されたことなど例をあげ、だから「人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ」と説く。

さて現在、日本経済は景気の回復と構造改革という二つの相反する課題に直面している。どちらを優先するのか。安吾の考えによれば明らかに後者となる。

われわれ戦後世代は、戦後をひたむきに生き、日本の経済発展に寄与してきたと些かの自負はあるものの、荒廃した戦後教育しか受けられなかったゆえに、教養と独創性に欠けるとの指摘を受けることがある。内心忸怩たるものがある。それが自信喪失にもつながっている。でも安吾は気にすることはないという。

「僕は・・玉泉も大雅堂も竹田も鉄斉も知らない・・けれども、そのような僕の生活が・・貧困なものとは考えていない・・・法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ・・武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち・・ここにわれわれの実際の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか」

「猿真似を恥じることはない。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである」(『日本文化私観』)

安吾は「ありのままの自分への信頼」が最も大切と説いた。その言葉には今読んでみても魂の震えを覚える。そのため引用が長くなった。ご寛恕を乞う。

(橋本尚幸)